2018年豊島岡中学校第1回社会より 江戸の農業① 国内生産可能になった!!

どうも。歴旅です。
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本日は江戸時代の農業について。
すごいんです、江戸時代!

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問7.下線部(キ)に関連して、江戸時代の農業・商業について説明した次の文のうち、あやまっているものを一つ選び番号で答えなさい。

1.幕府は新田開発に力を入れ、江戸時代中期の耕地の面積は初期の約2倍に増えた
2.米以外の作物を自由に栽培することは禁止され、商品として売る作物は作られなかった
3.大坂(阪)には全国の生産物が多く集められ、「天下の台所」と呼ばれた
4.株仲間という有力な商人の同業組合が結成され、営業を独占して大きな利益を得た
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何がすごいかっていうと、ほとんどすべての物を内製化できたんです。
そして今の日本の文化や経済、県民性みたいなものはこの時代にできている

よく鎖国をしていたって言われますが、実際はしていないです笑
江戸時代に一度も「鎖国」なんて言葉は使われたことはなく、幕末に初めて出てきました。
 実際は朝鮮通信使が来ていたり、中国とオランダは長崎の出島でずっと貿易をしていた。
 なんで鎖国と言っていたのかというと外国人と接触する接点を極力減らして長崎に集中させ、まともにビジネスできる安全な国と付き合っていた。
同時代、アジアもアフリカも奴隷に売られたりガンガン植民地化されていった。それに対して国を守るのは当然のアクションだと思います。
 
そもそもなぜ鎖国が可能だったのか?

例えば火薬。
戦国時代、鉄砲はすぐ量産可能だったのですが、火薬を製造する技術がなかった。そのため莫大な金額で火薬を入手していました。
 もともと中国侵略のために日本をぶつけようとしていたのがスペイン、ポルトガルの戦略でした。
・近隣諸国で紛争を起こさせ双方に武器を売って儲ける。
・少数民族に反乱を起こさせ、正当な勢力を貶める

こういうことはキリスト教がずーっとやってきたことでした。
ローマ時代からの伝統芸能ですね。

 火薬の話に戻ると、秀吉の朝鮮出兵で外に攻めていっても、スペイン、ポルトガルが火薬を握っている限り、いつでも供給を止めることができるということです。明まであまりのスピードで攻め入られると計画が狂ってしまいます。

最初はめっちゃ利益出ますよと煽る→武器弾薬を供給する→いい感じで進撃した後に止める→高値で値段を吊り上げる→攻め切れる量を与えず選挙区をもつれさせる→もっと高値で売れる

なんてことを繰り返していくと、攻められる方も適度に弱らせ、助けることもでき、且つ決定的なところまでいかないように情勢をコントロールできる。戦国時代、日本はかなり世界最強に近い侍集団だったのですが、外に出ていくには火薬供給の弱みがありました。
 しかし江戸時代にはいつの間にか自力で作れるようになり、自衛する力を持ちつつ外部接触を減らしました。
 徳川家康が江戸に都を移したのも、朝鮮戦争直後の関西から距離を置くことで平和にしていきたいという意図がありました。
 江戸時代に入ってから暫くごたごたはありましたが基本的に平和に繁栄する政策がとられて行きました。

江戸時代

Posted by rekitabipapa