2021年慶応普通部社会⑤川と歴史⑤戦国時代2

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昨日に引き続き戦国時代、もう1回です笑
川を渡る渡し賃のデザインを家紋にした武将がいました。誰でしょうか?

答えは真田氏ですね。渡し賃は六文。通称六文銭のデザインです。
これは実は当時比較的一般的なデザインでもあり、真田氏の専売特許ではなかったようです。元の出自の滋野氏や海野氏の家紋を使うこともありました。

一番有名なのは真田幸村ですね。真田十勇士という忍者軍団を従え、大阪冬の陣夏の陣で戦い徳川家康の首を狙った。真田は徳川家にとって常に脅威となりました。
実は真田幸村という名前は実名ではないんです。実名は真田信繁。彼は江戸時代になってからも講談や歌舞伎で取り上げられて有名になりました。
実は長男でもなく家督を継ぐ立場でもなかった。更に生まれが遅かったため、戦国の世の趨勢は決まってきておりました。

真田氏は真田三代といわれますが、はじめは武田氏の家臣として頭角を現してきました。言ってみるとサラリーマン大名です。ただ、武田二十四神将に3人も入っていたので猛烈に強かったんですね。

真田幸隆から始まる真田家サクセスストーリーですが、長男信綱、次男昌輝という猛将が武田家でバリバリ活躍していました。しかし彼らも死んでしまうのです。それが長篠の合戦

武田信玄亡き後、武田勝頼が家督を継ぎます。勝頼も元々四男なので家督を継ぐ立場にありませんでした。もともとの名は諏訪四郎勝頼で、諏訪氏を継ぐ予定だったのです。だから昔からの仲間も家臣団も諏訪寄り。そこへ長男はクーデターの疑いでいなくなり、次男三男も早世したりで武田家の家督を継ぐ事になります。やりにくかったんじゃないでしょうか。甲斐の猛者だらけのところに部外者として入ってきていきなりトップです。軍団をまとめるのは並大抵ではなかったでしょう。
家臣が止める中、織田信長の鉄砲隊VS武田の騎馬隊の戦いが勃発。結果ここで並みいる武田家の猛将が大部分討ち死にします。この戦いが致命的でした。武田家家臣は馬場信春など、他だったら有力大名だっただろう家臣がゴロゴロいたのでした。真田も信綱、昌輝を失い、急に三男の昌幸に家督が回ってきます。戦国時代、何が起きるかわかりませんね。武田家滅亡に伴い、独立起業します。真田は昌幸の時代に名を馳せたといえるでしょう。家康を2度も撃退したり、知将ぶりを発揮。最後は昌幸と信繁は西軍へ、長男の信之は家督を継いで東軍へ。家を分断しても家を存続させる。
真田の生き残り戦略はすごいですね。