2018年豊島岡中学校第1回社会より 江戸の農業② 産業革命までは世界一!

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戦国時代から江戸時代にかけて、様々な産業を内製化していきました。自分で作れちゃうんです。先の火薬も、加賀藩が白川郷や五箇山でこっそりと、人に知られないように、しかし大名のお墨付きありの仕事で産業化されていました。いろんな特殊産業もできましたし、藩がバックアップしていました。

そして江戸の農業、と言いながらもその他産業全体に触れていきます。
江戸のビジネス、すごいんです!

 技術的にも、産業革命が起こる前までは日本は世界最先端だったと思います。江戸時代も1800年代に入るまでは割と世界最先端だった。
幕末に西欧列強の方が圧倒的に技術が進んでいて、日本は遅れた後進国だ、みたいな印象が強いかもしれませんが、正直1820年代くらいまでは日本も最先端の部類に入っていました。

数学も和算があり、複雑な計算をそろばんでこなしていた。
平賀源内は電気を発明し、原理が分かっていた。
経済も文化も発展し、富の蓄積もできていた。
ロボットの原型である人形もいた。

何が決定的だったのかというと、産業革命です。
これは動力革命、武器開発が一番の差でした。
蒸気機関、石炭、鉄の製造加工。そして外で戦争しまくっていたため兵器開発と売りさばく市場があったのが、日本との差でした。
だから産業革命以降、技術的な差が開いたというのが正しいです。

当時世界で人口100万人都市はごくわずかで、江戸は都市文化が花開いていた。(ちなみに新潟の方が江戸より人口が多かったです)

これは100万人の人口を養える食料生産(農業)、自然環境、都市環境、経済活動があって成り立ちます。

 では、江戸時代の農業って何があったのか。見てみましょう。

■産業革命に対する勤勉革命
 日本は江戸時代、世界的との交易は少なかったものの、平和且つ技術的にも進んだ国でした。

 江戸の町はもともと広大な湿地帯でしたが、多くの人口を抱える街を作るために徳川家康が治水工事をし、街を作りました。利根川水系の流れを曲げたんです笑
この治水技術はかなりすごい。そして街も作り、全国各藩の協力普請によって堀を掘ったり、城を立てたり、外様大名の力を弱めつつ、江戸はどんどん開発されて行きました。今でも仙台堀川だったり、江戸時代に作った道、川などが東京に多く残ります。
町中を散歩してみてください。いろんなところに当時の仕事が残っています。

当時江戸に集まったのは大半男で労働者だったため、江戸初期の男女比はものすごく偏っていました。独身男性が働いた後、特にすることもなく貧乏長屋に帰っていく。楽しみは仕事帰りの一杯。

蕎麦、寿司、天婦羅、おでん。そして日本酒。

日本を代表する料理は、そんな独身男性が仕事の帰りにサクッと食べていけるファーストフードでした。それが今でも日本料理の代表格になっています。

 一方、ユーラシア大陸の西の島国イギリスでは産業革命が起きました。
水蒸気から石炭を利用した動力の発見と、機械化による生産の開始です。これによりヨーロッパは急激に産業を発展させていきます。

日本は、産業革命はないものの、勤勉革命を起こします。
歴史人口学の速水融教授が提唱したIndustrial revolution(産業革命)に対するIndustrious revolution(勤勉革命)です。

さて、それはどういうことだったのでしょうか。
続く。

江戸時代

Posted by rekitabipapa