2018年豊島岡中学校第1回社会より 江戸の農業③ 勤勉革命レボリューション!

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さてさて。江戸時代に起きていた勤勉革命。
一体何が起きていたのでしょうか。

経済においてある程度の資産の蓄積が重要です。元手がなければ何も始まらない。しかしそれ自体を作る、蓄えることは可能です。

イギリスの産業革命では、資本(機械)を利用して労働生産性を向上させ、資本集約・労働節約型の生産革命を起こしました。
それに対して日本は、家畜(資本)が行っていた労働を人間が行う、資本節約・労働集約型の生産革命を行い、日本人の勤勉性というのはこのころの生活習慣に根差しています。

これってどういうこと?というのを具体的にみていきましょう。

■農機具の発達
 これまでけっこう人力でやっていた農業。トラクターとは言わないまでも、江戸時代にかなり器械を使うようになりました。
 千歯こきなどで脱穀のスピードは格段に上がり、人力トラクターのような押す形式の農機具も作りました。もみ殻を風で飛ばしたり、小道具ながらも労力軽減ができるようになってきました。
 天候不順に対してはさすがに勝てないのですが、江戸時代は農村でも仕事効率化のための様々な工夫が見られます。これにより、農民も従来よりも時間が生まれました。
 そして小道具とはいえ、農機具を作る職人が発生します。

■肥料の改良
 農業技術が上がって来て肥料が改良されました。
 昔は土地の栄養分みたいなものはそれほど考えてこなかったのですが、江戸時代になってからお金で買う肥料をまくようになりました。金肥(きんぴ)と言います。これによって生産力が格段に上がりました。
 何を肥料にしていたかというと、干鰯、油粕、人糞などです。
 このころになると貨幣経済が発展してきて、農村でもお金を出して肥料を買うようになりました。そうすると現金がいる。
 土地の生産力も工夫と労働(農機具を作る、肥料を買う、集める、作る)によって生み出されていますが、現金下必要になったため、農業が終わった後に、空いた時間で夜も徹して家内生産を始めるのでした。

■今の地方の名産品に繋がる
 江戸時代には各藩で様々な農業政策、商業政策が行われました。そうした中で、各藩は財政を支えるためにも殖産興業を図ります。

例えば自分達が食べる以外に商品として流通させます。
漆塗りや朝鮮人参の栽培、郷土料理の開発、伝統工芸品の作成。
陶器、焼き物、箪笥、着物など、様々な商品を生み出し、藩外に流通させました。他の地域では作れない商品を、いろんな地域で買ってくれます。これにより街道、情報伝達の飛脚、物流、倉庫会社などが発達していきます。
 
 農民が夜な夜なろうそくの火で作るような産物もあったでしょう。富山の薬売りのように、たまに遠方から訪れるルートセールスもあり、雪深い村々をかなり広範囲で渡り歩いたのでした。
 富山の薬売りは薬を売るだけでなく、顧客台帳を持っていたので人々の健康状態や経済状態、更には結婚相手探しまでしていたそうです。

いろいろと産業が発生しましたが、基本的には農業です。
これが大幅に変わった。牛とか馬に鋤(すき)をつけて耕した方が生産性が高いように思いますが、実は人間が鍬(くわ)で耕した方が深耕できるという違いがあります。
これによって生産性が高まるということに気づくと、村から田畑で働く家畜が減少し、人間が代わりに働き始めます。
さらに夜中は別の仕事をしているので、相当働いているな、という印象です。寝てるの?!笑
でもその分、現金収入も入るし、変わった商品も手に入れられるようになったのでした。

今度は農地開拓に進みます。

江戸時代

Posted by rekitabipapa