2018年豊島岡中学校第1回社会より 江戸の農業④ 農民もわりと自由だった!
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
江戸時代の農民、かなり頑張って働いていましたね。もっと楽してもいいはずなのに。でもそれを選んでいるということは、一番いいスタイルだったはずです。家畜って、エサも食うし飼ってみると意外とコストが高いんです。もちろん牛糞で肥料作ったりいい面もありますが、より栄養価の高い人糞をお金出して買う経済に移行したんです。
毎日面倒見るのは大変ですからね。
時間的自由を選んだんです。
(歴旅の田舎は群馬の農家です。昔牛がいましたが手間がかかるのでいなくなりました)
牛を飼うと飼料が必要で、食料生産しないといけないのに、牛と人間でエサの取り合いになります笑
コスト最小の経営をした方が実は安定的なんですよね。そういうスタイルを、江戸時代の農民は選びました。結果本人が猛烈に長時間真面目にコツコツ働く。こうした勤労・勤勉を尊ぶ倫理観が形成されてきました。
人間が、自分がが頑張ることが最大効果が出る。
頑張った分だけ、工夫した分だけ報われる。
いい社会です。
二宮金次郎スタイルですね。
■農地開発
さて、江戸時代には様々な理由、時期で農地開発が進みます。これによって1600年には約1500万人だった人口が、18世紀初頭には約3000万人まで増えます。
とにかく開墾することによってまだまだ経済開発はできるぞ!ということで、可能なところは開拓しました。
その人口を維持するだけの食料生産ができたことを意味します。
これは農地開拓によって実現しています。徳川吉宗の時には千葉県が開拓されていますが、ナンバリング地名があります。
初富(はつとみ)、二和(ふたわ)、三咲(みさぎ)
豊四季(とよしぎ)、五香(ごこう)、六実(むつみ)
七栄(ななえ)、八街(やちまた)、九美上(くみあげ)
十倉(とくら)、十余一(とよいち)、十余ニ(とよふた)
最後に十余三(とよみ)
千葉県民には比較的なじみの地名ですが、江戸の人口を養うために近郊農業の千葉県開拓が進んだのでした。この頃に多くの村ができました。
こうして江戸時代に平野はガンガン開拓され、更には二期作、二毛作のような高頻度の土地利用、細やかな手入れをする小規模農業経営が進みました。秋に米を収穫した後にもう一度小麦を育てる。2種類の野菜を作る。蒔いたら生える土地。現在日本では農業従事者がいなくなり、大規模農業できないか、という議論があります。
しかしもともとはドドンと広大に開けた土地ではないため、小さい農地で工夫しながら生産性を高めてきた。日本の祖先は真面目にコツコツ、本当にすごい努力をしてきました。
イギリスも日本も島国ですが、対照的な動きとなりました。
イギリスは植民地獲得へと向かいますが、かそれは国内の土地が狭く、羊を飼う土地利用では生産性を向上できない環境だったからでした。そのため外へ外へと向かい、植民地を増やし、交易(相手が弱ければ収奪)によって富を蓄積していきます。
一方日本は、国内にまだまだ開拓可能な土地があった。その土地も二期作、二毛作、深耕、肥料の改良によってそもそもの単位面積当たりの生産性を高めることができる。
結果内向きに発展していくのですが、生産性の向上、文化繁栄の基盤つくり、人口増加、多様な商品を生み出すということについては、別の発展をしていったのでした。
日本の農民は小作人以外、農奴的立場を離れて自立経営ができる状態となり、伊勢参りなど他国に旅行だってできました。物見遊山なんて、ヨーロッパの農奴だったら絶対不可能です。だいぶ自由だったんですね。年間の休日も多くは30~60日。仙台藩では80日。経済的にも時間的にも比較的自由。
祭りなんかもできますね。メリハリが付けられるので生産と消費の日を分け、ハレとケの文化を作る事が出来た。
もちろん現代とは比べ物になりませんが、思ったより楽しい農村だらけだったのではと思います。
士農工商の身分の差はありましたが、実際は商人が大名にもお金を貸していた。
侍が下の階級に頭を下げなければならない局面もあった。
山形県の本間家は上杉家にお金を貸してました。
「本間様とは言わないが、せめてなりたやお殿様」
と言われるくらいの勢力を誇り、今も山形医師会、市長などを務め地域を支えています。
農民も特産物を作った名主や豪農は経営者的な立場だった。貧しいフリして質素に暮らしながらも神社に寄進して地域を支えたり、その土地に名を刻む農民もいた。
そう考えると、サムライの切り捨て御免!のような対応もあったかもしれませんが、身分だけでそこまで差があったわけではないようにも思います。
社会がオープンであること。
これが栄える国の鉄則ですが、江戸時代は幕末に財政が行き詰まるまで、比較的自由な社会だったのだと思います。
完全に平等な社会は存在しませんが、日本は役割は分かれていながらも、比較的平等な社会と言えるかもしれませんね。平等が大事と言いながら不平等、格差のある国もあれば、機能を明確に分けて固定化しながらもそれぞれの幸せが達成できる社会にする。
ある意味本質的な儒教を体現するとそうなります。そして異なる考え、立場でも一体化してまとまる。それが「礼」の本質です。
心臓と肺と胃が喧嘩しないで体にピッタリ収まっているように。
さて、次はまとめです。
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