経済の歴史➆ 比叡山延暦寺は一大コンツェルンの財閥だった!
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
本日は戦国時代宗教問題。この辺は今年出てきそうですね。
織田信長は比叡山延暦寺焼き討ちを行いました。
だいぶ罰当たりですがなんででしょう?
平安時代末期の白河法皇も「天下三不如意」として
①山法師 ②鴨川の氾濫 ③サイコロの目
を挙げていました。不如意、というのは思い通りにならないものという意味ですが、山法師というのは比叡山延暦寺の僧を指しています。
イエズス会宣教師ルイス・フロイスも絹の着物に金の装飾品を持った僧たちの様子が記録されていますが、当時はほぼ輸入品だった絹を着られる坊さんは相当金持ちだったということです。
宗教というのは戦乱や疫病が流行るとお金が集まります。人は不安になると神頼みし、寄進しました。現在と異なり大きいお寺は当時は大名と同等の存在と思った方が良いです。
比叡山の主な4つの収入減は以下でした。
①寺領
近畿、北陸を中心に全国に多くの荘園を持っていました。
任命もないのに守護などと同じ権限です。
土地の税収が上がります。
②金融
土倉と呼ばれる高利貸しで、利息は年利48~72%。
ヤクザよりもヤバいですね。
年間だからいいのか。。戦争しているので蔵を守るだけでもこれくらい利益をもらうくらいの価値があったということでしょう。
③市
定期的に開かれる市の地代。門前町には人が集まり、市ができ商売が活性化します。その場所代ですね。
その他酒や油などの独占販売権。必需品押さえちゃってますね。。
④関所
馬借と呼ばれる運送業者を支配。各地に関所を設けて高額の通行税を徴収。
要するに金融業、不動産業、運輸業を担うコングロマリット財閥ということです。主要産業を独占しすぎですね。。
その利益で維持される僧兵。お寺には常備軍もいるわけです。それは強いわけだ。
織田信長は天下統一までに多くの敵に囲まれました。
いわゆる第1次信長包囲網では朝倉義景、浅井長政、三好三人衆、一向宗石山本願寺などで囲まれ、比叡山延暦寺も信長の話に耳を貸しませんでした。
そこで襲撃。
寺に恨みがあったわけでもないですが、寺だから不可侵というこの統治構造が、天下人を目指す信長には特別視できなかったのでしょう。
ある意味正しいフラットな感覚。常識を疑いましょう。
日本の政治中枢まで口を出す特権階級であった坊主達。
実は現代でも同じです。政治の隣には常に宗教がありますね。
宗教の存在理由が現実社会の救済を目的としているのだから、政治に近づくのはある意味当たり前とも言えます。
それがまともな観念であればよいのですが。この頃の比叡山延暦寺はここまで行くと特権階級化し、民衆から実は利益を吸い上げていたのかもしれませんね。
お寺はどこも都市の郊外にあります。僧侶は働いてはいけない。農業もしてはいけない。だから托鉢をして人々から恵んでもらい、修行します。無人の荒野で修業もできないんです。俗世間から離れたところで修業しながら、しかし戦乱や疫病、貧困など社会不安が高まるとみんな寺に集まる。お布施も集まる。お寺を解釈する時に政治、経済的視点で見るといろいろわかります。
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