経済の歴史⑨ 鎌倉幕府の成果は徴税権・裁判権・警察権の分捕り

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公家を中心とした朝廷によって支配されていた平安時代。
しかしその末期には保元平治の乱によって台頭した平家が権力を集中させ始めました。
平清盛大和田の泊という貿易港を作り、日宋貿易によって莫大な利益を上げました。この経済力を背景にして朝廷でも官位を取り、平氏の貴族化が進みます。

もともと939年藤原純友の乱平将門の乱などあり、朝廷、公家の支配に抵抗する武士が瀬戸内海や坂東で表れ始めていました。

源氏と平家はその代表的勢力で、朝廷権力何するものぞと自分達の所領の獲得を目指していました。東北遠征させられて大した領地も報恩もない朝廷には辟易していたんですね。それに対して源義朝などが自腹を切って部下に報酬を与えていた。それに感動した郎党が集まって来たんですね。

源平の戦いによって源氏が勝ち、鎌倉幕府ができます。
そこではもともと朝廷が行っていた守護、地頭の任命権を幕府が持つようになりました。これは大きな転換点で、これにより武士の世が到来したと言えます。
もともと朝廷が持っていた、地域を治めてよいという任命権。これを勝手に鎌倉幕府がやってよい、ということになりました。その他裁判権、徴税権もここに付随してきます。地域で自立的に武士が統治してよい。
もともとは朝廷が統治していたのに、ずいぶんと勝手なことやるなぁ、というのが天皇をはじめとする朝廷の感想だった事でしょう。

鎌倉武士=関東広域ヤクザ連合

とする研究者もいますが、当たらずとも遠からず。。。
鎌倉は粛清のあらしが吹き荒れ、源氏の将軍家も暗殺されて3代で血脈が途絶え、北条氏の天下となります。
源氏は全員激しく戦いすぎて全滅。
しかし全国には他の源氏筋が残り、武田氏、足利氏、新田氏など源氏の流れをくむ武士達が地方で力をつけて行きます。